毒親 子離れ出来ない親 親によるDV 親の面倒を見る から逃げました

トシ

今回は、毒親のセワや介護による問題を取り上げました

パンどん

怖い親には、反対や抵抗を子供が、出来ないパンよ

トシ

そうなると、ついつい言いなりに、なってしまいますね

目次

父親の理想に振り回される家族

我が家では、父親が絶対だったので、基本的には、怖い印象が強かったです。私は3兄弟の末っ子でした。姉や兄が、父の言葉の暴力や威圧などを受けて躾(しつけ)されていたので、自然と怖い存在で反抗出来ないように育てられてました。よく母親が父に泣かされていて、姉が母を可哀そうと思い父を憎んでいました。それでも育てもらっていると思い従うしかありませんでした。

自分の範疇に子供を置かせる事が当たり前

父は、普段は別に普通の人でした 子どもの頃は、釣りに連れて行ってくれたし、それなりには父親してました。しかし学校の帰りや仕事の帰りなどが遅いと、どうして遅いと聞いてきました。始めは自分の事を心配してくれているのだと思っていました。しかし、実際は自分の手の届く所に置きたいだけでした。しばりつけたい相手に対しては、必要に帰りを何時に帰るか、もしくは帰る前に伝える事を求めました。遅くなるなら、なおさらでした。ターゲットは、姉であり後に私の妻がその対象になりました。

怒る際の言葉 「親をなんやとおもっているのだ!!」

父親自身の主(あるじ)とは、みたいなものがあり、それにそぐわないと怒りました。例えば私の子どもの七五三の時に妻が段取り良く、やっていると父に相談無くやったためボロカスに言われていました。妻の母が鯛を持ってきて下さったのですが、妻は涙ながらに鯛を料理してました。申し訳ない気持ちで、いっぱいでした。そんな状況でも父には、逆らえません。逆らいたい気持ちよりも恐怖が勝ります。料理も結婚当初は、サラダを妻が出すとウサギのエサと言い、基本は日本食中心の料理しかダメでした。自身の子どもが洋食系の食べ物を食えず可哀そうでした。

父の意見を尊重する形で怒る度に謝って何とか過ごした

父は怒る際に、腹に収まらないならばハッキリ言えよと言いいました。こちらの意見を言うと世間では、通らないとか、その年でそんな事もわからないのかと攻め立てました。結局は父の考えが、正解なので何を言っても火に油を注ぐだけで、こちらが謝ってやりすごしていました。

3兄弟で自分しか父の面倒を見れない状況

姉は嫁ぎ、兄は結婚と同時に奥さんが、父親に合わないからと家を出ていきました。私が面倒を見る事になりました。
当初は、それほどの事と思っていなかったのですが、結婚して事の重大さを知るハメになりました。孫の教育に関しても、間接的にああしろ、こうしろと言いいます。そのようになってないと、キレて怒ってきました。3兄弟の中でも自分は、父親と上手く生活をしていこうと考えてました。それが使命だとさえ思っていました。

親の面倒を見るの当たり前?

親の面倒を見るの当たり前って、確かにそうかもしれません。ただ面倒を見なきゃと思える存在かどうかは、それだけの尊敬に値するかどうかだと思います。
しばりつけて自分の考えを押し付け、さらには「ありがとう」は、まず言わない人に喜んで面倒を見る人なんていないでしょう。

認知症も始まり いつ手を出すかわからない

先の不安を感じた私は、要介護申請をしました。要介護2と、父は了承されました。
ケアマネジャーを呼び、段階的に施設に行けるように考えたのですが、ケアマネジャーの前で妻をボロカスに、ののしりケアマネジャーにも威圧的な態度を取り、ケアマネジャーは二度ときませんからと捨て台詞を言って帰っていかれました。

20年ほど同居したが自身の家族が心配、すでに妻は限界の状態

ケアマネジャーに端を発して、また父が怒り説教を言い始めました。勇気を振り絞って反抗しました。縁を切る旨を伝えたら、『親に向かってよう言ったな』と言われました。そこで口論となり父が、手を掴もうと襲ってきました。父は年老いてますが、やはり怖い印象が恐怖で包み込みました。逃げました…。

早くに家を出るべきだった

住んでいた土地も家も父の物でしたから、それをふまえると父の強気な姿勢は納得できました。しかし
夫婦二人で住むくらいなら、なんとでもなりました。世間体など理由に無駄な時間を過ごしてしまいました。勿論、自身が恐怖で家を出る事を避けていたのも事実です。(家を出ると言ったら父に怒られるのが怖くて)

本当に子どもの幸せを願う親なら施設に自ら入る

身の回り事が徐々に出来なくなって、家族に迷惑をかけるとなったら、自ら施設を考えるのが普通の親だと思います。夫婦共働きの現代では、孫の事も考えると尚更です。

親の介護は、子供に義務があるとあるけど実のところ

法律で定められているのは「身体的な介護の義務」ではなく、扶養や扶助と言われる「生活を助け合う義務」です。

生活を助け合うとは結局のところ、「お金の支援」です。衣食住の経費や医療費、介護費など生きていくのに最低限必要なお金を支援する義務が原則です。

例えば、親にお金がなく、誰かの助けがないと動くことができない場合、お金を支援してヘルパーさんに面倒をみてもらえば、義務を果たしていることになります。

自身が身体的な介護を行わなければならないわけではありません。

そよ風

上記のように、要はお金ですね。お金を払えば少なくとも義務をはたしてることになります。ですので身体的な介護で悩んでおられる方、悩まずに施設に入ってもらって経済的支援をすれば、義務は果たしてることになります。

親一人でも民生委員や包括の支援がある

毒親と言っても悲しいかな気になります。地方には、民生委員さんや包括といった支援があります。私は、縁を切ると言った手前と恐怖で父に会いたくありませんが、間接的に父を監視しています。あまり入り込むと父の所に来てくださいとなるので距離を取る形で情報を聞いてます。家を出て暫くの間は、数秒に一回は父の顔が浮かびました。それでも最近は、少しずつ父の事を考える時間がへりました。

まとめ・考察

まずは、親の介護は、子供に義務があるというけれど、身体的な介護でなく、その介護に関わる経済的な支援の義務(本人がお金が無い場合)なんです。要は、施設に入ってもらって経済的に支援すれば義務をはたしてるという事です。
毒親と言うけれど、本当のところ自身も父が毒親かどうかは、よくわかりません。ただ自身の人生を親だからと言って、考えにそぐわ無いと怒り、暴言などで恐怖に陥れて親の理想で振り回すような親は、決して良い親とは言えないと思います。
また、私の親って毒親ではと、思った方メンタル心理そらくもさんでセルフチェック出来ますので確認してみてはどうでしょうか。

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この記事を書いた人

[専門学校卒後」
呉服屋に就職も数ヶ月で辞める。

後に転々として食品会社で20年ほど勤め部長になるも、このままではダメだと思い退社。

ブログでアフリエイトを始めながら近所の工場に就職。ブログでの成果は、あがらずブログ放置。

また数社転々として新たに近所の会社に就職。

ある知り合いの行動が胸を打ち ブログ再開する事に

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